かつての浦安は、広大な干潟と遠浅な海を持ち、陸地との間には、抽水植物が生育して陸から海へと徐々に変化し続いていた(現在のようにコンクリート護岸の先に海ではなかった)。
現在の浦安に至るまで、以下のように環境と野鳥の環境を分けることができます。
報告書「新浜の野鳥」を見てみると、当時野鳥を見ている人達は、行徳の鴨場一帯から浦安にかけて「新浜(にいはま)」と呼んでいました。
サギの仲間は新浜鴨場を中心に数万羽がコロニー(集団繁殖地)を形成していました。
シギ・チドリの仲間は数えきれないほど生息していました。また現在は見る事のできないマガン・サカツラガンなども飛来報告があり、現在では考えられないようなたくさんの野鳥たちがいたことが記録されています。
海底から砂を吹上げ、埋立てが始まると、野鳥たちは住みかを奪われていきました。
埋立て地は、海底の泥・砂で作られたため、造成当初は、まるで砂漠のようですが、翌年になるとチガヤなど低い草が生えてきます。3年くらいたつと、アシが目立ってきて、5年程で大体アシ原になり、草原を利用する鳥(オオヨシキリ、ヒバリ、セッカ)たちが多くやってきました。
また所々に配水用の水路や大きい水溜りが継続して残り、そこにバンやヨシゴイ・シギ・チドリなどの水鳥が多く飛来しました。