■野鳥から見た浦安

(更新 2019/08/01)

浦安の野鳥の変遷

かつての浦安は、広大な干潟と遠浅な海を持ち、陸地との間には、抽水植物が生育して陸から海へと徐々に変化し続いていた(現在のようにコンクリート護岸の先に海ではなかった)。

 

現在の浦安に至るまで、以下のように環境と野鳥の環境を分けることができます。

東京湾と地形に共通点のある有明海の奥。かつての浦安〜東京湾もこのような干潟が広がっていたと想像できる(参考:佐賀県東与賀町、浦安野鳥の会有志で遠征しました)。
東京湾と地形に共通点のある有明海の奥。かつての浦安〜東京湾もこのような干潟が広がっていたと想像できる(参考:佐賀県東与賀町、浦安野鳥の会有志で遠征しました)。

1. 埋立て以前

報告書「新浜の野鳥」を見てみると、当時野鳥を見ている人達は、行徳の鴨場一帯から浦安にかけて「新浜(にいはま)」と呼んでいました。

サギの仲間は新浜鴨場を中心に数万羽がコロニー(集団繁殖地)を形成していました。

 

シギ・チドリの仲間は数えきれないほど生息していました。また現在は見る事のできないマガン・サカツラガンなども飛来報告があり、現在では考えられないようなたくさんの野鳥たちがいたことが記録されています。

浦安の干拓された農地(猫実川〜市役所通り)もこのような姿であったと想像できる(現在の佐賀県東与賀町)。
浦安の干拓された農地(猫実川〜市役所通り)もこのような姿であったと想像できる(現在の佐賀県東与賀町)。

2. 埋立て期('70年代中盤〜'80年代)

海底から砂を吹上げ、埋立てが始まると、野鳥たちは住みかを奪われていきました。

 

埋立て地は、海底の泥・砂で作られたため、造成当初は、まるで砂漠のようですが、翌年になるとチガヤなど低い草が生えてきます。3年くらいたつと、アシが目立ってきて、5年程で大体アシ原になり、草原を利用する鳥(オオヨシキリ、ヒバリ、セッカ)たちが多くやってきました。

 

また所々に配水用の水路や大きい水溜りが継続して残り、そこにバンやヨシゴイ・シギ・チドリなどの水鳥が多く飛来しました。

浦安にいる野鳥の特徴

水辺環境-海域や河川などの生き物が多様化してきた

  1. 三番瀬と葛西海浜公園に隣接し広大な水辺環境になっているため、シベリアで繁殖するカモ類やカイツブリ類などが、数万羽が越冬している。さらに東南アジアで越冬しシベリアで繁殖する水鳥(百羽単位のシギ・チドリ類)の中継地になっている。
  2. 境川や猫実川などを通じて、街中にもサギ類やカモ類が生息している。
  3. コチドリとコアジサシが、造成地などの空き地や倉庫の屋上などで繁殖記録がある。
  4. 浦安が東京湾に突き出ているため、強い南西風が吹くと太平洋上を移動するアホウドリ類やミズナギドリ類などの一部が流され浦安上空を通過する。
野鳥的浦安の地勢
ラムサール条約に登録されている谷津干潟(千葉県習志野市)、三枚洲(東京都江戸川区葛西臨海公園沖)。また、宮内庁鴨場を擁する千葉県市川市行徳野鳥の楽園、船橋市と浦安市の間にある浅瀬の三番瀬(さんばんぜ)などに囲まれている浦安の埋立地。

造成された緑地が成熟し生息する小鳥などの種類が増えた

  1. シジュカラやメジロなどの森林性の野鳥が、15年ほど前から繁殖を始めた。
  2. 朽木を好むとされるコゲラ(キツツキの仲間)が、数年前から繁殖するようになった。
  3. 野鳥を捕食する森林性の鷹、ツミが繁殖するようになった。
  4. 渡りをする小鳥たち(エゾビタキ・オオムシクイ・カケス・オオルリなど)が毎年緑地で観察されている。

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